論理的に話す目的

論理的に話をするという事は、流暢なイメージがあります。

確かにそうではありますが、人を動かす為の話し方として、

立て板に水というのは場合によるのかもしせません。

周囲にいる立て板に水のごとく話す人を、

ちょっと思い浮かべて下さい。

自分自身その方に対する印象はどうですか?

信頼できそうな人ですか?

内心では案外、弁は立つけどこの穂との言葉は信用できないぞとか、

自分の事ばかり一方的に話すタイプだななどと、

いぶかしく思っていたりしませんか?

そして表面的には、話を聞いているフリをしているけれど

頭の中では、この人の話は信用できないと思ったりしてはいませんか?

一方、あなたが信頼できそうと感じる人は

どのような人ですか。

もしかしたらその人は、口数は多くないけれど

言葉を選びながら一生懸命に話す人、

時々は顔を見ながら熱心に話しかけてくれる人、

そんなタイプの人ではないでしょうか。

一生懸命に話をする人には、つい誰もが聞き入り

気づかないうちに全幅の信頼を寄せ、

この人なら大丈夫と思ってもらえるのです、

大事なことは、論理的に話をする目的は

その話を聞いて共感をしてもらえるかただそれだけです。

 

よろしければ、Facebookのお友達になってください。
大阪オフィス 富樫